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Satoshi Hasegawa

Paolo Fanali Tenor Recital

更新日:2020年11月8日


新進気鋭のテノール Paolo Fanale パウロ・ファナーレ を聴きました。紀尾井ホール  


特筆すべきは高音のデイミヌエンド  これは衝撃です!


モーツァルトを歌えるイタリアのテノールはとても珍しいし、興味のもてるキャリアの持ち主でしたので聴きに出かけました(7月8日)。


  曲目の前半がトステイの歌曲で   

理想、魅惑、夏の月、われもはや愛さず(君なんかもう)、苦悩、漁夫はうたう、

  暁は光から

後半がオペラで

清教徒、ファウスト、真珠採り、ロメオとジュリエット、愛の妙薬、ボエーム、

コシファントウッテ  女心の歌(リゴレット)、連帯の娘、椿姫Allegro付き  オ  ソーレミオ


 第一声から明るく突き抜けた声でスタート。点火は既に終わっていて燃焼状態からの入り。丁寧な歌い回しです。「理想」のaurora をAに上げてフォルテの状態からデイミヌエンド .息を呑む美しさです。最後もppで危なげなく終わります。


特筆すべきはNon tamo pi? 、この一見冗長にすぎる曲を丹念に歌い紡いで第二節

により生命を吹き込んで完全にこの曲の精神の素晴らしさを再認識させられた。「君なんかもう」という愚劣な日本名がついていることは曲への冒涜ですね。


Tostiの歌曲というのは全体に甘いのでプログラムの前半に来る事は稀ですがこの人は敢えてそれをやっている。これだけきちんと歌えるとそれもありですね。

   ただ  「夏の月」などの上行してせり上げるフレーズなど間が持たずに詰まってしまうなど、かつての名歌手には見られなかったような不満がやや残ります。


後半も好調の入り方です。

清教徒ではピアノが凡庸なため、興を削がれる部分もあったがよく聴かせています。ファウストも真珠採りも ハイC で素晴らしいデイミヌエンドで、その余韻たるや別世界が現れるのです。後奏部分が弱音で書かれていることを納得します。


「コシファントウッテ 」この難しいモーツアルトのアリアを難なく歌い上げていて、フェランドが当たり役であることが分かります。

「ボエーム」の最高音Cも強声から その緊張を保ったまま消えて行き、次のフレーズのミミへの甘美で優しい誘いの言葉になります。こうしたニュアンスはオーケストラよりピアノ伴奏の方が声のクオリティーがよく分かるのです。


「連帯の娘」、「女心の歌 」や「椿姫」では聴かせどころでのフォルテを敢然ときかせてくれました。。


  声のtimbre音色は明るく温かい。適度に胸声が入り交じり充実感がある。それにこれが一番大事な点ですが歌唱に品があります。このテノールはまだとても若いのですがこれら難曲の数々をこともなげに披露してくれたのはまさ驚くべきことです。


イタリアのテノールで私が好んで聴いたVincenzo la scola ラ スコーラは50歳にしてAsの音が出なくなってがっかりしましたが、技術力のあるファナーレはそんなことはないでしょう。前途洋々、近いうちに The three tenors のような名声を獲得することでしょう。



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