(6) 教授法について
教授法と歌唱法とは一対のものであるのでこれまで述べてきたことと本質的には同じものだが,なお必要と思われることを書きたい。
・声楽教師は生徒に対してあらゆる忍耐と包容力を持って接すること。
生徒の呼吸の乱れをなくし精神的に落ち着かせるところから指導は始める。焦りがあるところでは何も進歩することは出来ない。出来うる限りの忍耐を持って生徒を受け入れる態度が重要である。
・教師は常に生徒の歌唱が自由になることを目指して練習方法を組み立てるべきである。
・一声一声を選別し悪いものはすぐに修正させること。
発声メカニズムの中の間違いは少しのものでも根こそぎ摘出削除しなければならない。少しでもそうしたものがあると悪いものが段々と大きくなってしまうからだ。多くの教師はすぐに大声を要求する。すると悪い声も一緒に出てしまう。そのうち悪貨は良貨を駆逐してしまう。
・範唱は必要だが大声で立派にやらないこと。
生徒はそのメカニズムを聞かないで大声だけを聞いて真似をすることになる。大事なことは小さな機能を得るべく訓練することだ。
・発声は目に見えないものなので教師はよく「ここを感じて歌え」などと言いがちだが,そのように感情を定めるのは不可能である。生徒に感じるように求めることによって,本当の感覚に導くことなどはできない。
他方,生徒が自発的に何を感じるかをレッスンの合間に生徒に尋ねることは,生徒が発声中に何を経験しているか,そして彼らがどのように評価しているかを教師が理解するための一助となる。それは生徒が自分の感情と,それらが機能することに気づいて,ますますそれらが彼ら自身のガイドになっていくことように手助けしてくれる。
おわりに
様々な要因による身体の鬱積から自由になって,クオリテイーの高い声と音楽を生み出す LiberoCanto について述べてきた。これは結局のところ天然自然な状態にいかに歌い手自身が戻れるかどうかのことである。これに上達すれば自由自在な声と音楽が手に入れられるし,その道は他の表現芸術,スポーツなどにも間違いなく通じるものであると考える。両サモシ教授は禅にも造詣が深い。
著者は今後もこれらの研究に力を注ぎたい。
注
1) M. Glinsky, “Il segreto del Bel Canto”, L’Osservatore Romano, No.171, 25 Luglio 1948, Roma.
2) ラヨシュ・サモシの消息についてはサイト h t t p://www.liberocanto.org を参照。また筆者自身が本人および子息から聞き及んだものを付加した。
3) h t t p://www.liberocanto.org
4) C.L. Reid, BEL CANTO Principles and Practices, New York, Music House, 1972.p.35
5) ・長谷川 敏,「Bel Canto における High Mechanism の機能に関する一考察 ヨーロッパ歴代の名テノール,33 人の演奏分析を通して」,『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学;芸術)』,第 41 号,1992 年,15~33
・長谷川 敏,「Bel Canto その歌唱法と教授法に関する一考察 サモーシ理論に基づく体験的声楽技法の展開」,『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学;芸術)』,第 44 号,1995 年,19~
6) 著者がラヨシュ・サモシ教授より聞き及んだ。1975
7) C.L. Reid, op. cit., p.44
8) アメリカのソプラノ歌手で声楽指導者である D.カーミカエル(著者の同僚)が近年リート氏のセミナー(2003.New York)に出席した折,氏の著書中にある,ベル・カント唱法が衰退していった原因について氏から直接再確認している。
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